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大阪高等裁判所 昭和61年(う)8号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一五〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人吉岡良治作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一(原判示第二の事実に対する訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、原判示第二の事実の証拠として、ビニール袋入り白色結晶覚せい剤一袋(以下、本件覚せい剤という)及び大阪府警技術吏員小野広孝作成の昭和六〇年四月三〇日付鑑定書(以下、本件鑑定書という)を挙示しているが、右覚せい剤は、警察官職務執行法所定の要件を欠く職務質問と、その際にいずれも強制力を伴つて行われた警察官派出所への同行及び所持品検査により、違法に押収されたものであり、また右鑑定書は、違法に押収された証拠物である右覚せい剤に基づいて作成されたものであつて、いずれもその証拠の収集過程に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、いわゆる違法収集証拠として証拠能力がないのに、これらを証拠に採用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、原審及び当審で取調べた関係証拠によると、本件覚せい剤の押収経過について、(1)西成警察署警察官髙岡栄典、同吉田晃二及び同池嶋章訓は、昭和六〇年四月二三日午後八時ころ、覚せい剤事犯の多発地域である大阪市西成区山王二丁目付近の裏通りを巡回警ら中、対面歩行してきた被告人が、右警察官らに気付いて目を伏せ、接近するにつれて落着きをなくすなどの不審な態度をとりまたその風貌も、頬がこけ顔色が青白いなど、覚せい剤常習者に多くみられる外見的特徴がみられたので、被告人に対し覚せい剤事犯の容疑を抱き、髙岡巡査が「すみません、ちよつと止つて下さい。」と言つて被告人を停止させ、職務質問を開始したが、付近は商店街で人通りも多く、被告人が「こんなところでは恥かしい」と言つたこともあつて、約一二〇メートル先の飛田派出所まで同行を求めたところ、被告人はしぶしぶながらも異議を述べることなくこれに応じ、右警察官ら三名とともに歩いて同派出所に同行したこと、(2)被告人は、同派出所内で、吉田巡査から所持品の提示を求められ、所携の紙袋の中味を同巡査らに見せたほか、上衣とズボンのポケットから、タバコ、小銭入れ、財布、ライターを取り出して見せたこと、(3)しかし、被告人着用のズボンのポケットがまだふくらんでいるのに気付いた吉田巡査が、「まだ入つているのと違うか」と尋ねたところ、被告人は、「これで全部です」と言いながら、ズボンのポケットからちり紙などを取り出して見せたこと、(4)さらに、吉田巡査が、「もう他にないのか。ないのなら確かめさせてもらう」などと数回念を押したのに対し、被告人は「もうない」と答えたのみで、同巡査がポケットの内部を確認することについて諾否を明らかにしなかつたが、同巡査は右のように念を押したうえで、被告人のズボンの右のポケットに手を差し入れ、被告人がその中に隠し持つていた本件覚せい剤(ビニール袋に入つたもの)と一〇円硬貨二個をつかんで取り出したこと、(5)被告人は、これに対して積極的に抵抗する動作までは示さなかつたが、吉田巡査が本件覚せい剤をつかんで右のポケットの入口あたりまで取り出した際、「そんなことをしていいのか」と述べ、これに対し右覚せい剤等をそのままポケットの外へ取り出した同巡査において「被告人の了解を得ているから構わない」旨答えたこと、(6)右のようにして発見された本件覚せい剤は、被告人から警察官に任意提出され、直ちに領置されたうえ、大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所長宛に鑑定嘱託がなされ、その結果本件鑑定書が作成されたこと、以上の事実が認められる。

被告人は、原審及び当審公判廷において、「後ろから来た警察官三名(制服二名、私服一名)に呼び止められ、両腕をつかまれて派出所へ無理矢理連行された」「警察官は、事前に被告人の承諾を求めるようなこともなく、その着用するズボンの左右のポケットにいきなり手を差し入れてきたので、被告人は、『何するんだよ。そんなことしてもよいのか』と言つて右手で警察官の手を払うようにしたが、そのまま手を突込まれて覚せい剤を取り出された」などと供述するのであるが、右供述は、前示認定事実に概ね沿う捜査段階での被告人の供述と明らかにくい違つた内容のものであるところ、記録によると、右捜査段階での供述は、取調官の追及に対し、右職務質問や所持品検査の状況について重要な点で自己の言い分を貫徹し、全体として矛盾のない一貫した内容をなしており、当時の被告人の認識がほぼ正確に述べられているものと認められるのに対し、原審及び当審公判定での被告人の右供述は、いずれも公判段階ではじめて述べられるに至つたもので、ことに捜査段階では、「警察官の求めに応じて派出所へ同行した」「警察官がポケットに手を入れるのが早かつたので、動作で拒否することもできず、されるままにしていた」旨述べていて、この供述が他の関係証拠とも附合することなどに対比すると、その信用性は乏しいものというほかはない。なお、所論が指摘し、被告人が捜査及び公判において随所に申し立てる私服警察官については、原判決も説示するとおり、その存在を認定できるだけの証拠に乏しく、この点に関する被告人の供述も措信しがたいものといわなければならない。

そこで、前記認定事実に基づいて所論の点を検討するのに、前示警察官らは、覚せい剤多発地域を歩行中の被告人に異常な挙動が認められたことから、覚せい剤事犯の容疑を抱いて職務質問を開始したが、その場が人通りの多い道路上で、被告人自身も人目にさらされることに難色を示すなど、同所での職務質問の続行が被告人に対して不利であると認められる状況のもとで、最寄りの派出所に同行を求め、これに応じた被告人をその派出所に同行したのであるから、右職務質問とこれに引き続く任意同行は、いずれも警察官職務執行法二条所定の要件を充たしており、これを適法と認めた原判決の判断に所論のような誤りは存しない。

ところで、右派出所内で、警察官から所持品の提示を求められた際、被告人は、一旦任意にこれに応じながら、ことさらその一部を着衣のなかに残し、警察官から追及されてズボンのポケットから新たに所持品を追加して提出しており、このことと職務質問を開始する時点での被告人の挙動などを併せ考えると、被告人に対する覚せい剤事犯の嫌疑は、この段階で相当に強まつた状況にあつたものと認められるが、当時派出所内で職務質問が行われていて、第三者による妨害が入る可能性は乏しく、被告人も職務質問を明示的に拒否する態度までは示していなかつたのであるから、さらに住所、氏名、当日の行動などを質して被告人の嫌疑を確認するための職務質問を続行するとともに、所持品の任意提出を説得する余地もなお残されていたと認められるのに、このような方法をとることなく、被告人の承諾が得られたとは認められない状況のもとで、所持品検査の必要性、緊急性もさして高くないのに、その着用するズボンの右のポケットに手を差し入れて在中のビニール袋入り覚せい剤等を取り出した警察官らの行為は、原判決が指摘するとおり、一般にプライバシー侵害の程度が高く、かつその態様において捜索に類するこの種行為の性質に鑑みると、任意手段として認められている職務質問に付随する所持品検査の許容限度を逸脱したものというほかなく、本件所持品検査及びその結果発見された本件覚せい剤の押収手続は違法といわなければならない。

しかし、原判決も説示するように、証拠物の押収手続が違法であると認められる場合でも、それをもつて直ちにその証拠物の証拠能力が否定されると解すべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においてはじめてその証拠能力が否定されると解すべきであつて、これを本件についてみるに、被告人の所持品を検査する目的でその着用するズボンの右のポケットに手を差し入れた警察官の行為は、それまでの職務質問の際や所持品の任意提出を求めた際の被告人の挙動ないし態度から、被告人に対し覚せい剤事犯という重大な犯罪の容疑が強まるとともに、派出所内とはいえ、微量の所持事犯が多くを占める覚せい剤については、なお投棄隠匿等による罪証隠滅の可能性も考えられ、所持品検査の必要性及び緊急性がなかつたとはいえない状況のもとで、自発的な所持品の提出、もしくは警察官による右のポケット内の検査について、何回か説得を試みたものの、諾否の態度を明らかにしようとしない被告人に対し、所持の現場を押えて検挙を確実にしたいという気持に駆られる余り、被告人の個人的法益に対する配慮を欠いて行われたもので、警察官において令状主義に関する諸規定を潜脱しようとする意図があつたとは認められず、また所持品検査に対する被告人の拒否の意思は、右のポケットに手を差し入れた警察官がその中にあつた本件覚せい剤をつかんでその入口あたりまで取り出したころにはじめて明示されたもので、警察官がそのまま本件覚せい剤をポケットから取り出すことを事前に制止する効果はもはや期待できない状況にあつたと認められ、他に所持品検査に際し強制等がなされ、或いは被告人が積極的な抵抗をした事跡は窺われないから、右のポケットに手を差し入れて本件覚せい剤を取り出した警察官の行為が、所持品検査として許容される限度を著しく逸脱したものとは解されないうえ、その結果発見された本件覚せい剤は、結局被告人が警察官に改めて任意提出されることによつて押収されるに至つていることなどに徴すると、本件証拠物の押収手続の違法の程度は必ずしも令状主義の精神を没却するような重大なものとはいいえないのであり、これを被告人の罪証に供することが将来における違法な捜査の抑制の見地からみて相当でないとまではいうことができず、本件押収にかかる覚せい剤及びこれに基づいて作成された本件鑑定書の証拠能力はこれを肯定すべきであるから、これらを原判示第二の事実の証拠として採用した原判決に所論のような訴訟手続の法令違反は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、被告人は、昭和五九年九月二五日(同年一〇月一〇日確定)覚せい剤取締法違反(自己使用)罪により懲役一年六月、四年間刑執行猶予に処せられていながら、その約四か月後に原判示第一の覚せい剤自己使用に及び、その結果幻覚症状を呈して警察官の職務質問を受け、尿を任意提出するなどしたにもかかわらず、さらにその約三か月後に覚せい剤結晶〇・一四グラムを密売人から買い受けて原判示第二のとおり所持していたもので、右猶予期間中にもなお覚せい剤への依存性が認められることに徴すると、犯情は軽視できず、反省状況など被告人のために斟酌しうべき諸事情を十分考慮に入れても、被告人を懲役一年に処した原判決の量刑が重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条、一八一条一項但書、刑法二一条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原田直郎 裁判官谷村允裕 裁判官河上元康)

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